明日、7月11日(土)は、教会礼拝日です。

メッセージは「ひとえに神様に喜んでもらいたい思いで生きているか」です。キリスト者になる前は、ひとえに、自分を喜ばす思いで、生きてきました。これは、ごく当然の生き方であると、多くの方は、思うでしょう。幸福とは、自分がいかに幸福になるか、自分が喜ぶ人生を送れるかが、重要な事になります。しかし、信者になると、そうではなくて、神が喜ばれる生き方を、求めるように、変化していきます。信仰が強まれば、創造主である神に対する愛が強まり、当然のごとく、神が求めていることが心から分かるようになり、その思いを、喜んで行いたくなります。

つまり、神が喜ぶ生き方を行うことが、自分の喜びになるわけです。そういう生き方を、神は喜ばれ、キリスト再臨時に、その生涯の忠実な生き方を、喜んで下さいます。一方、信者の不忠実な生き方は、厳しく裁かれます。これらの事がマタイ25章の、タラントの例えに、書かれています。マタイ25章は、最後の審判についての3点セットのとても厳粛な教えで、弟子に向けた最後の教えです。前回は、3点セットの最後の教え、今回は2番目の教え、また翌週は、最初の教えを講解します。

10時55分同時公開します。

 

 

 

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