「ホープ食堂」を始める動機としての「仕える人になる」を、投稿しましたが、それに関連するお話しです。

先般、ある高齢で全盲の個人事業主の方のコロナ施策「持続化給付金」申請を、代行したことを投稿しました。最近、私は、目の前のやるべき仕事の為、このようなお手伝いする機会が、減っていました。

しかし、全国反貧困ネットワークの繋がりで、不思議に埼玉の支援者からお電話があり、これは神様がやりなさいとおっしゃっていると思い、代行したわけです。大変感謝されました。

今回、彼から「家賃支援給付金」申請の依頼があり、手続きを代行しました。これは、ネット申請でしたが、結構難しかった。というのも、入れるべき情報が多く、また、頻繁に記入エラーの指摘をうけ、その理由が、中々わからないため、時間がかかりました。

今回の2回の申請を通じた感想。

そもそも、これを全盲の方がするのは、当然ながら全く不可能。また、このような制度があること自体、全く情報が伝わってなかった。情報弱者である。

おそらく、福祉先進国では、このような緊急支援対策については、行政が、このような全盲などの弱者に対して、真っ先に連絡をとり「このような制度ができました。その説明をしたいので、…に来てもらいたい。難しい場合、当方で出向く。その代行の申請手続きを支援します。」・・・となるだろう。

しかし、残念ながら、日本ではそれがない。申請主義で、「来たら受け付けます」である。つまり、このように、平均的な健常者等をベースとした社会造りをしており、このような障がい者等の情報弱者に手を差し伸べない、冷たい国の構成になっている。「あとは、生活保護で…」と。

しかし、このような全盲の方が、コロナ下で収入が減っている中でも、何とか自分で働き自活していこうとしている。その方が、前回の代行手続きの際、お礼をしたいとおっしゃたが、断った。というのも、生活相談サポートセンターの仕事であり、今まで、お金がもらった事は一度がなかった、という理由で。

その彼が、再度の手伝いに、大変感謝され、何とかお礼の気持ちを受け取ってもらいたいということ。同じく、最初はお断りしたが、考え方を変え、このように考えました。「そのお金を、私たちの活動への寄付金としていただきます。ホープ食堂をしていて、シングルマザーの方の収入も、コロナ下で、減っている。親子は、とても切ない立場にあり、そのための無料の食事提供をしているので、その支援として寄付していただければ感謝です」とし、彼は喜んでそうしてくださいました。

このやり取りの中で、聖書の「仕える者になりなさい」を覚えました。つまり、彼も、生きるに大変な状況であるが、同時に大変な片親家庭の状況に思いをよせ支援しようとする。そういう意味で、彼は「仕える者」だった。

このような助け合いを、神は喜ぶだろう。日本的に言えば、「困ったときはお互い様」「互助」であるのだろう。かわいそうに思って、助けあう。そこに、温かさ、寛容、愛がある。それは、キリスト教の隣人愛に通じるものがある。

残念ながら格差は、異常な広がりを見せる。「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」は、いまや、死語になっている。

聖書(詩編12.5)から

主は仰せられる。

「悩む者がふみにじられ、貧しいものが嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう」

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