1月23日の礼拝メッセージは「もしそうでなくとも」ダニエル書からでした。

私たちは、神に「私の希望を・・・私の方法で・・・」と、自分をセンターにおいて祈る傾向があります。

大事な原理は、神は、唯一の創造主で、私たちは被造物であり、すべては、神の為にある。

つまり、私は神の為に存在するもので、神が私の為に存在するのではない。

だから、たとえどうなろうとも「神の御心がなるように」といった信仰、イエスが父なる神に祈ったことが、願いの基本になるはずだが、実は、このことが思い切れていない。あるいは、ほぼ忘れて生きている。

その間隙を、多くの現代の偶像(人間の飽くなき欲望)が支配する。

偶像崇拝は、結局、神に視線を向けない自己礼拝の表現なのだろう。

経済偏重はもちろんだが、SNS等依存もその一種。

電車に乗り、向かいの人を眺めると異様だ。

きわめて、難しい時代に生きているが、信者は「神の為に、神の栄光の為に生きる」レールから外れないように。

 

 

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