10月24日(土)の礼拝メッセージは「自分の知恵によっては、神を知ることはできない。」です。
私が、56歳でクリスチャンになった時、意外なことを知りました。
神が、最も、うとまれることは、人間のプライドということです。
自分自身のプライド、知恵に固執している限り、神は見えません。お隠れになっている。
しかし、神を知る時が来ます。自分のプライドを悔い改める時です。
キリスト教の基礎中の基礎で、クリスチャンになってからも、一生涯とても重要なことです。
これらの観点から、1コリント1章を中心にお話をしたいと思います。

1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」

 
プライドが砕かれ、神を知ることができたというのは、恵み以外の何物でもありません。
人生でこれ以上に大切なことはありません。
従って、「神の恵みで、私たちは充分である」と知るべきでしょう。
しかし一方、クリスチャンになってからも、自分自身のプライドがもたげてきます。
私達の人生は、それとの戦いでもあります。

 

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