今日のメッセージはルカ15章から「放蕩息子とその兄」でした。
イエス様は、例え話の天才で、人間の機微、深層心理を熟知されています。しかもこのたとえ話の主人公は、二人のわがままな罪人の兄弟ではなく、父であることがわかります。
罪人の兄弟は、私達そのものです。
その罪深い私達に対して、変わらぬ愛を注がれる父なる神のお話しなのです。
https://www.youtube.com/watch?v=Y30owzdhyFo
神の私達への深い愛は、変わりません。
しかし、私たちは、そもそも失われた存在です。
つまり、本来いる場所からさまよっている存在で、その事すら気づいていない。
ひたすら、自分や世を求めている。
つまりは、神からの離反で、心に平安がない。
しかし、弟が、落ちに落ちた時点で、父を思い出し、悔い改めように、信者になった私たちは、
神を知り、神に立ち戻ることができた。
感謝なことです。
しかし、プライドの高い、自分を義としている兄は、自分が失われた存在だとは、全然気づいていない。
そういう兄に対する父の対応も、愛情深く、気づき、悔い改めを強く願っている。
父はこうおっしゃる。
ルカ」15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。
つまり、失われた人の救いは、父なる神にとって、大喜びする最高の喜びであることがわかる。それが神の思い。
「喜ぶことは当然ではないか」と神は絶対視する。
だから、悔い改めを、強く願う神。
それほどまでに、神が私達を愛していることが、イエスの十字架の死によって、実証された。
それを知った私たちは、砕かれた心で、神とともに歩むのみ。
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