9月5日の礼拝メッセージは「信仰の父アブラハムの試練」でした。

https://www.youtube.com/watch?v=yhBoZpFphjY

その為に、アブラハムとイサクについて深く考えました。

アブラハムは、神から「イサクをささげよ」という命令を受ける。

アブラハムの心模様については一切書かれていない。

だから推定するしかない。

まずは、大いに驚愕し、「なぜだ、なぜだ・・・」と苦悶したであろう。

一人子をささげよということは、イサクの死を意味する。

しかも自分の手で、イサクを殺しささげる。

深く愛する一人子イサク。

なぜ、神は私に、イサクの死を命じるのだろう。

理由はよくわからない。

しかし、最も重要なことは、主に従うことだ。

それは、最優先のこと。

神は私の主で、私は何をさておいても、神の命に従う。

それは、私は神を愛し信じているから。

彼は、すでにこの最大の試練においても、多くの試練を経てそのように考える域に達していた。

神は、私達にも私たちに耐えられない試練を、突如お与えになる方ではない。

一方でアブラハムは思う。神は、良いお方であり、また神は約束を100%必ず守られる方。

神は、イサクについて預言し約束している。

創世記17:19 すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、 それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。

 

アブラハムは、おそらく、イサクは死なないと考えた。

イサクは死んでも復活すると。

そうでないと、神の約束はかなえられない。

神は、約束を違える方ではない。

自分には理解不能だが、何らかの形で、イサクは死なない。復活する。

そのような確信をいだいたのではないか。

それほどに、主を信頼した。

それが、彼が信仰の父たる所以。

父なる神が、一人子イエスをささげる時、愛と苦悩の両面をくぐりぬける。

それと同じように、アブラハムも、真の愛と苦悩を通る。

父なる神とアブラハムは、愛するわが子をささげる苦悩を、くぐりぬける。

だから、アブラハムは神の友と呼ばれる。(ヤコブ2章23)

そう呼ばれるにいわれるにふさわしい、アブラハム。

 

クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。

にほんブログ