昨日に引き続き、横田繁さんの死についての牧師としてのコメントを再整理しました。 横田滋さんが昨日亡くなられた。 数年前に、彼が高校の大先輩(彼が1期、私は20期)と知ったばかりだった。
艱難きわまりない人生で語る言葉がない。牧師の立場としてだけお話したい。 訃報を聞いて気になったのが、彼がクリスチャンになっていたか否か。調べると2017年になっているとのこと。
良かった。神に感謝するのみです。
妻の早紀江さんは、ずいぶん前から信者になられていたのは知っていた。 早紀江さんは、関係者のコメントで「『天国にいきましたので』とおっしゃっておりました」と聞き安心しました。
早紀江さんは、福音が知らされている日本において、信者にならずに死んだ場合、天国に行けないことを知っている。 この世の生を終えた時、ともに天国で暮らすことにならないため、早紀江さんは、滋さんが、神を信じることができるように、あきらめずに数十年、祈り続けていたのだろう。
そして、神の御心がなって信じることができた。神に感謝するしかない。
一方で、この地での娘めぐみさんとの再会を、祈り続けているのだろう。 また多くの関係者が祈っている。
めぐみさんの状況は神のみぞ知る。 しかし、彼女は福音が知らされていない地に、しかも子供の時に拉致されていることから、聖書的には、天国に行けるだろう。また信者の両親の祈りによって、聖別されているだろう。
それが、希望である。世が思う願望としての希望でなく、聖書的な希望は、確信である。
従って、いずれ天国で、ご家族が神とともに永遠にくらすことになることを、神に感謝するしかない。
今日の教会メッセージは、マタイ15章から、不遇な環境の中でも、あきらめずに祈り続けることでした。 人生に艱難は、つきまとう。 避けたいと願う。 しかし、その不都合な状況が、時として魂にとって大いなる祝福になる。 詩編119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。 私はそれであなたのおきてを学びました。

 

そのメッセージの準備をしてきた中での、突然の訃報でした。従って、最後に横田さんのこともお話ししました。
すべてをご支配されている神に感謝です。
神は良いお方です。

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