旧約聖書を読んでいて、つくづく思うのは、神の弱いもの、へりくだったものへの強い慈しみの思いだ。

一方、おごり高ぶったものへの怒りは厳しいものがある。

ゼパニャ書には、その両面が鮮明に書かれている。

おごり高ぶるものへの裁きと主により頼む者への救いと祝福。

3:8 それゆえ、わたしを待て。――主の御告げ。――わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集めてさばき、わたしの憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注ぐ。まことに、全地はわたしのねたみの火によって、焼き尽くされる。

3:9 そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。

3:10 クシュの川の向こうから、わたしに願い事をする者、わたしに散らされた者たちが贈り物を持って来る。

3:11 その日には、あなたは、わたしに逆らったすべてのしわざのために、恥を見ることはない。そのとき、わたしは、あなたの中からおごり高ぶる者どもを取り去り、あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない。

3:12 わたしは、あなたのうちに、へりくだった、寄るべのない民を残す。彼らはただ主の御名に身を避ける。

 

後半部分は、まさに新約の預言、「主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。」である。

神は、慈しみと厳しさの両面がある。

懲らしめがあるが、滅ぼしつくさない。

私達は、旧約に言う「残りのもの」であり、信仰を守りぬかなければなるまい。

ローマ書に書かれているとおりです。

11:20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。

11:21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。

11:22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。

11:23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。

 

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