今日の礼拝メッセージは「悲しむ者は幸いです」でした。
悲しむとは、自分の罪深さへの悲しみを指しており、自分には頼れるものがないばかりか、罪深い、みじめな存在に嘆き悲しんでいる状態をいう。 キリストは、そういう悲しむ人は幸いなり、とおっしゃる。 世の人には、それはとても愚かな考えと思うだろう。私もイエスを知るまではそう思ってました。 世の中の仕組みは、悲しみを排除する方向性で、理念上成り立っている。 しかし、実際は、とても不幸な悲しむべき事態に世は進んでいる。 戦争、貧富の格差、難民、国や民族の分断、そして疫病。 それは、神不在の人の自立的な歩みの弊害を露呈している。 神は、罪深さを自覚し悔い改め、神に立ち返るよう促す。 とても陰気くさく思える「悲しむ者」は、神不在の自己のみじめさを真に自覚し告白している、神の目からは、まっとうな姿で、そういう者を救う為にイエス様が来られ、永遠の命を保証する。 信じられない神の恵み。その展開が聖書にある。 https://www.youtube.com/watch?v=OAIxFbPvMTA&t=474s

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