今日の礼拝メッセージは「こころの貧しいものは幸いです」でした。
これは、キリスト教の基礎中の基礎といってよいと思います。
こころが空っぽ、自分には誇るものは何もない。
自分の力では何もできない。
神なしには破産状態で、こころが砕かれている状態。
そういう人は、幸せだという。
これは、世の中の価値観とは、正反対。
この世の幸福とは、経済、健康、知識、道徳などにおける豊かさ。
神を知らない人には、不可解で、かつ忌み嫌うかもしれない。
しかし、神は、こういう砕かれたものに寄り添い、助け、導き、天のみならず、この地においても祝福して下さる。
信じられない神の祝福。
イザヤ57:15 いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。
こころ砕かれ、へりくだったものに神は目を留める。
何という特権扱い。聖なるお方が、ともに住んで下さる。
私達は、「こころ貧しい者」を目指にして生きるべき、ということではない。
私達はみな、そもそも「こころ貧しい者」だという事、その事実を、深く自覚しなければならないということです。
自分には、誇ることが何もない。
私達に唯一誇ることがあるとすれば、神を知り、イエスを信じ、イエスに従って生きていこうとしていること。
礼拝動画
https://www.youtube.com/watch?v=euiw_uC2As0
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