日本には、おけるキリスト教信者の割合は、極めて少なく1%といわれています。
それには日本のキリスト教会の取組み方の課題もあるでしょう。

日本人は、大ざっぱに言って、「西洋の宗教であり、日本人の伝統や文化にはなじまない」「宗教は,そもそも弱い人が頼り信ずるもので、私には関係がない」と思われている方は多い。
私も似たような思いを抱いていたため、関心は薄いでした。
しかし、若い時から「自分は、何のために生きているのか、死んだらどうなるのか」といった人生への探求心(求道心)は強く、従って、それらに関する文学、哲学(仏教を含む)あるいは心理学を通じて、「人生の意味が分かるかもしれない」と思い、求道をしてきました。
会社生活で、忙殺しながらも、心の中にはその思いがありました。
しかし残念ながら、人間が考えたこれらのものでは、わかりませんでした。

そういうタイプの人は、古今東西を問わず、いらっしゃるでしょう。
天才パスカルは、「人間のこころの中には、神の形をした空洞が存在する」と言っていました。

私たちが教科書で習った「人間は考える葦である」で有名なパンセを書いた方です。

彼はご存じの通り、物理、数学、科学や哲学に至るまでに人類史上屈指の天才でしたが、心の空洞が埋まりませんでした。
しかし、30歳代初期に、神を知ります。
「考える葦」は物体に対する精神の偉大さを説いたものですが、パスカルはそれよりもさらに、小さな愛のほうが偉大であると説いています。いわゆる物体・精神・愛という秩序の三段階であり、これは最も著名なパスカル思想の側面です。
このように、彼はキリスト信仰によって、今までの諸学問への関心は、全くなくなり、小さな愛、具体的には貧者救済の活動に力を注いだようです。
彼は、結局、聖書を通じて真の神を知ることで、心の空洞が埋まる。

それは、神を信じることでしか、埋まらない。
なぜなら、その空洞は神の形をしていたから。
彼から学べるのは、「弱い人が頼る宗教、信仰」という概念は、当てはまらないということでしょう。この世的な見方では、彼は弱者でないどころか、歴史上でも際立ったエリートで強者である。
また、心の虚しさという実存の有様は、人間の普遍的分野における問題であって「西洋の宗教」という見方もできない。

パスカルは、素直に自分の空虚を認め、そして見つめ、神に至った。

 

そういう意味で、日本人が思いがちな「宗教は弱者が陥るもの」「キリスト教は西洋の宗教」という思考は、的を外している。


私達はみな、心に正直になれば、みな心に空虚感を抱いており、従って、明快な人生観を持ちえないでいる。
それが、私の確信であり、またそれは、生きている人生において、何とかしなければならない課題であります。

私は、今は社会的活動の他に、教会牧師でもありますが、56歳でクリスチャンになった為、それまでの求道歴も約35年あります。それが私の特徴です。

私は、どちらかといえば、一人で考えてきましたが、いろいろと自分の思いを本音で語り合うことにより、打開策が見出せるかもしれません。
このように、求道の思いがある人、世の不条理性に悩み疑問をお持ちの人は、日本人にも多くいらっしゃると思います。それは、世代や立場には関係がなく必然的に襲ってくる人生の難問であります。

いろいろな経験をしたおかげで、いろいろな話し相手にはなると思いますので、ご連絡いただけると嬉しいです。
連絡先は、HP:https://hopesc.themedia.jp/ にあります。

090-1308-9480 hope.s.church@gmail.com 

 

また、「求道者の為の集まり」についても、考え始めているところです。
 

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