昨日礼拝メッセージは「神はすべてを支配されている」でした。
使徒の働きからと、私の実体験も合わせてお話しさせてもらいました。
また、昨日からピンマイクを使用したため、録音の音質が各段に良くなりました
https://www.youtube.com/watch?v=u1ChXXPNcwA
さて昨日のテーマは、使徒の働き12章のペテロの牢屋からのみ使いによる救出からでしたが、今日のブログは一点に絞ってお話します。
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。
まず気になるのは、2節の「ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」です。
ヤコブの死が、たったの一行。
ヤコブは、イエスから特に信頼の厚かった3使徒の一人で、山上の変貌、ゲッセマネでの祈り等の特別な場に同行しているほどの人である。
人が書いたノンフィクションでは、当然のごとく、ヤコブの死について、あるいはヤコブの業績などについて、多くの行とページを割くだろう。
しかし、聖書では、ヤコブが殺されたという事実一行のみ。
しかし、そこに神の存在の証拠を思う。
永遠の視点を思う。
つまり、彼は神に選ばれていた。
神から預けられた地上での役割を果たし終えた。
そして、天に迎えられた。
神からの「お前はよくやった」という賞賛と共に。
それがすべてである。
彼は地上での役目を完了し、天に迎えられ、永遠の時を神とともに生きる。
何と素晴らしい事か。
一方、ペテロには、この地上においてやるべき役割があるため、牢から救出されるわけだ。
つまり、神の御計画があり、御心がなるだけ。
私たちが考える良い計画とは違う。
私たちには神の計らいは、わからないのだ。
私たちの身の周りでも、不幸な死がある。
クリスチャンの家族や親せき、あるいは友人の中に、そのような場合がある。
私たちには、その死の理由が理解できない場合がある。
しかし、これだけは信じよう。
神は、最善をなさる。
いつも必ず、私たちクリスチャンの為に、最善をなさるお方。
神の子である私たちに、天の父は、当然のごとく、最善を計画され、最善をなされる。
そして、私たちには、天で私たちの住まいが用意され、永遠に神と共に過ごすことができる。
その恵みを神に感謝します。
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