モーセは、120才で死ぬ。
彼は、80才から神からの召しを受け、イスラエルの民のエジプト脱出、そして約束の地への導きを命じられる。
自らが願ったことではない。
しかし、苦難の連続。
それは、外部からではなく、民からさらには身内から襲ってくる。
大変だったモーセ。
しかも40年も。
しかし、大事業の完成は彼の仕事ではなかった。
彼が願った約束の地へは入れなかった。
しかし、モーセは最後まで気力を失っていなかった。
申命記34:7 モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。
モーセは、約束の地に入りたかったであろう。
見たかったであろう。
40年も費やしたのだから。
しかし、神の御計画ではなかった。
モーセは、残念な気持ちを、深く抱いたに違いないが、それは、神の御心であることを、悟ったのだろう。
神の御心に従う。
そのことを、荒野で彼自身が神によって訓練された。
最後まで神に真実に従っていくことが、自分の役割だと。
私たちも同じである。
この世の短い人生で、私たちは、自分自身の尺度で、あれをしたい、これをしたい、こんなにした、と考えがちになる。
あるいは、こうなりたくない、あれはしたくないと。
この姿勢からは、結果的に、何も生まないのでしょう。
唯一大事なことは、「これをする。あれをした。」ということではなく、神に従った人生を送ったかどうか。
世間や他者がどう思うかは尺度にはならない。
また、自己評価、自己満足することでもない。
問題は、神に忠実に従ったかどうか。
それが、私たちの仕事。
その心がすべて。
それを神はご覧になっている。
そうあるように、私たちを導いておられる。
そうあることを、神は求め喜ばれる。
モーセが、死ぬ直前においても、気力が衰えていなかったのは、神に従う人生を送ってきたからなのだろう。
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