次のみ言葉は、多くのクリスチャンが、感化される聖句だと思う。

ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

2:14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。

2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

 

神は、私たちの人生に目的を持っている。

それは、私の意志ではなく、神の御計画である。

その神の御計画を、実行されようとする時がある。

その時は、強い思いが与えられる場合もあるでしょう。

あるいは、私たちの思いを変えるために、神は力をもって私たちの環境を変えられる場合がある。

現実が大きく動く中で、強制的に思いが与えられる場合もある。

そうでも神がなさらないと、私たちは、神の促しに気づかない場合もあるからだ。

 

いずれにしても、神からの働きかけによって、志を立たせてくださる。

自分の立場上、責任上、すぐに行う必要がない場合もある。

すぐに行うべきでない場合もある。

それは、神の御心を慎重に見極める必要がある。

今の環境を維持したままで、新しい取り組みや自己変革のテーマが与えられるかもしれない。

一見小さなことを、行えとおっしゃっている場合もある。

一日の与えられている時間の配分を変えるだけで、人生が変えられていく場合がある。

あるいは、これらの経過期間を経ながら、次のステップが与えられる場合もある。

 

いずれにしても、神の促しをずーと押しとどめ、自分自身の都合や思いに従った人生は、後悔することになるだろう。

時間は、あっという間に経過していく。

 

また、御心にそって事が始まったら、この聖句通り、神に従うことだろう。

ぼやかず、不平を言わず、疑わず行いあるのみ。

その継続こそ大事。

そのための努力あるのみ。

私たちは、世の光にならなければならない。

それは、私たちに内住される神は、光であられるからだ。

その方の光を、私たちのからだを通して、世に照らしていかなければならない。

神の栄光が現れるために。

そのための努力や苦労は、決して無駄にならない。

すべては神がご存知である。

 

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