今日の教会メッセージは、「心配してはいけません」です。

マタイ6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

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礼拝は、HPやYOUTUBE でもアップしていますが、要旨は次の通りです。

  

私たちは、心配する、思いわずらう傾向がある。

しかし、神は、心配してはいけないという。

つまり、私たちの心は、世的なものに向かっているからである。

神へ向かっていないからである。

 

あなた方は、命の大切さを理解しているかと神は問う。

私たちは、わかっているようで、わかっていない。

聖書的な原則をこころから意識しないで生きている。

つまり、神は、私たちに命を与えてくださった。

しからば、神は、責任をもって、いのちの維持をする。決して、見過ごされことはなく、置き去りにされない。

私たちの人生の目的は成就されるまで、私たちの旅路を導く。

成就すると天に迎えてくださる。

神を信じて従っていく人には、神は責任をもって、守ってくださるのである。

 

また、空の鳥の生命は、神が、自然の中に、虫や昆虫などの食べ物を用意されている、神が鳥に十分に気をつかっていらっしゃることによって支えられている。

そのことを悟るなら、神の子である私たちへの気遣いはいかほどか。

それを心から知っているのか、信仰は薄くないかと神はおっしゃる。

 

だから、私たちは、思いわずらうべきでない。

私たちは、その事実を神に感謝し、神からの体の賜物を感謝し、私がやるべきことを、一生懸命やればいい。

あとは悩まずくよくよせず、神を仰ぎ見て生きればいい。

神を見て、神の国と神の義をまずは求める。

必要なものは、神が十分にご承知であり、加えて与えられる。

主にゆだねる人は、どんな状況にあっても必ず守られる。

 

イザヤ46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

 

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