ヨブ記は、私がクリスチャンになる前、聖書を読み始めた時、最も衝撃を受けた書といってよい。

人生の苦難を取り扱う書であり、「人生とは・・・」に強い関心のある無信者に特に勧めたい書であります。

また、ヨブは大変な試練を受けますが、そもそも彼が、神から極めて高い評価を受けていた信者であったことがわかります。

ヨブ31:16 わたしがもし貧しい者の願いを退け、/やもめの目を衰えさせ、

31:17 あるいはわたしひとりで食物を食べて、/みなしごに食べさせなかったことがあるなら、

31:18 (わたしは彼の幼い時から父のように彼を育て、/またその母の胎を出たときから彼を導いた。)

31:19 もし着物がないために死のうとする者や、/身をおおう物のない貧しい人をわたしが見た時に、

31:20 その腰がわたしを祝福せず、/また彼がわたしの羊の毛で/暖まらなかったことがあるなら、

31:21 もしわたしを助ける者が門におるのを見て、/みなしごにむかってわたしの手を/振り上げたことがあるなら、

31:22 わたしの肩骨が、肩から落ち、/わたしの腕が、つけ根から折れてもかまわない。

 

神は、ヨブの隣人愛、つまり、貧しい人、やもめ、みなしご、困り果てている人への行動を、とても喜ばれていたのだろう。

神が願っていることだから。

神を愛し恐れることは、隣人愛に向かう。

それが、神からの信頼を得ていたのだろう。

ヨブには、何はともあれ、社会的弱者の保護に対する重大な関心を持っていた。

それを、願っていただけでなく、実行していた。

目の前の困った人へのあわれみと行動を行っていた。

善きサマリア人のように。

神が、ヨブを喜ばれる理由がわかる。

 

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