キエルケゴールは、19世紀の哲学者で、クリスチャン。
20世紀の神学に大きな影響を与えた人です。
私は、21歳の無信者のころ、彼の「死に至る病」に、没頭したことがある。
とても難解な本なのだが、人生の絶望の原因を深く掘り下げた稀有な本です。
青年期の私の「人生とは何か」の疑問に、一番よく答えてくれた本で、今でも時々読み直すことがあります。
さて、キエルケゴールの言葉が、朝日新聞一面の「折々のことば」に、昨日紹介されていました。
この世的な生き方の的を得た批評で、そのまま、記事を引用します。
「世間ではいつもどうでもいいことが一番問題にされる」 キエルケゴール
人はつねに自分と他人との差違に執着する。
どんな賞賛を得るか、どう重きをなすか、どの位置につくか。
そんな世間の「符牒(ふちょう)」でもって自らを意識する。
が、それは他の人々に自分が「騙り(かたり)とられる」ということ。
つまり自分を失うということ。
世間ではこのようにそれに「身売りしている」人たちばかりから成ると、19世紀デンマークの哲学者は断じた。
「死に至る病」(斎藤信治)から。
彼は、人生3段階説を唱え、美的段階(世的な生き方)、次に倫理的段階、そして宗教的段階へと、飛躍しなければならないと、主張する。
その当初の段階である世的生き方への批判であるが、それは、宗教的段階に飛躍したはずのわたし達クリスチャンにも、耳が痛い。
私も反省します。
聖書でパウロが警告している通りです。
ローマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
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