イエスを信じた時、「本当に良かった。信じるということは、こういうことだったのか。まったくわからなかった。」と思った。

いずれにしても、わたしが神を信じたことを、神を信じれたことを、目が開かれたことを、喜んだものです。

しかし、聖書をよく読んでいくと、わたしが神を信じたのではなくて、「神が私を選んだ」と書いてある。

にわかには信じがたいが、そう書いてある。

わたしが神を神として信じ、選択したという思いが強かったが、実は、すべて神のシナリオであって、神が私を選んだ。

ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

 

神が、よりによって私を選んでくださった。

しかも、宇宙が造られる前から選ばれていると書いている。

エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

 

ますます、信じがたいこと、私の想像を絶することが書かれている。

しかし今は、聖書に書かれていることなので、そのまま信じている。

わたしが、特別に選ばれている理由はわからない。

天国に行ってもわからないだろう。

いずれにしても、それは私たちが誇れることではなく、ただひたすら、神の恵みに感謝するしかないでしょう。

同時に、この世的なものへのあこがれや恐れはなくなっていくでしょう。

 

神は、選んだ目的を「実を結び、実が残るため。御前で聖く、傷のない者にしようとされるため。」とおっしゃっている。

それならば、私たちは、それを目指すしかない。

一歩、一歩。

 

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