一匹のいなくなった羊を探す人の例え。

ルカ15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。

15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

 

神の常識と人間の常識は違う。

迷い出た羊は、そもそもが、迷うような劣った羊。

全体の羊の群れの維持のためには、いない方がいいかもしれない。

これからもトラブルを起こす。

劣等なものを残していた場合、その劣等な遺伝を引き継ぐ羊が、生まれてくる。

だから、この際、わざわざリスクをおかして探す必要がない。

 

この例えは、もちろん、人間社会に適用させた例えである。

私たちの社会も、平均的な人を基準に構成されている。

適者生存の考え方は、基本に流れている。

このように、思う人もいるだろう。

 

しかし、神の視点は、まったく違う。

迷いでた、失われた人を、必死で探しまくる。

そこまでやるのか、やりすぎと思うほどである。

そして見つかった時、「そこまで、喜ぶのか」というぐらいに、神は大喜びされる。

 

考えてみると、私たちは、全員、失われた人だった。

神から造られたのに、神に違反し神から離反していた。

従って、神からわかれた時点で、霊的に死んだ状態だった。

それを、神のあわれみで、探し出してくださり、救われた。

 

神は、不思議なことに、わたし一人に、人類全体と同様の尊さを、認めてくださる。

価値のない、淘汰されておかしくない、わたしを、人類全体と同じ尊さで愛してくださる。

何と感謝なことか。

 

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