今日の礼拝を終了しました。

前日のブログで示した通り、マタイ6章の主の祈りのメッセージを行いました。

主の祈りは、完璧な祈りです。

まず、父なる神のために祈ることから始まります。

マタイ6:9 だから、こう祈りなさい。

『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。

 

私たちは、神の威厳と栄光を果たして、知っているのだろうかと自問してみました。

旧約のユダヤの民を、私たちは、批判しがちになりますが、ある意味すばらしいことは、彼らの神に対する認識です。

彼らは、神はいかに恐れるべきお方、畏敬されるべきお方ということを知っていました。

箴言1:7 主を恐れることは知識の初めである。

 

一方、神の偉大さに対して、自分たちのあまりの卑小さを知っていたがために、聖名であるヤーウエをみだりに口に出すことができず、聖名と呼んだわけです。

創造主たる神の威厳を、肌身で知っていたのでしょう。

それは、理屈抜きにすごいことです。

そういう意味で、新約の今、神のあわれみによって、神の子とされた私たちですが、真に神の崇高さ、無限の力、尊厳・・・を真に知っているのだろうか。

そのためにも、弱い私たちのために、イエス様は、私たちに祈りの順番、つまり、素晴らしい神の栄光を祈り、願うことから、教授してくださったのでしょう。

神か、神としてどれだけ素晴らしいお方であるか、神が神としてふさわしく、あがめられるようにと、イエスも願ったわけです。

イエスは、身近で、父なる神の栄光を知っており、それを、人類がともに唱え、御国がくるように、神の支配が拡がるようにと。

そして、賛美が生まれます。

賛美は、神への感謝を上まわります。

つまり、神のすばらしさ、威厳そして無限の愛を知った時、感謝を越して、神をあがめるしかなくなる、賛美するしかない・・・という心境になる。

イエスに祈りと賛美を教えていただきました。

 

今日は、時間がなく説明できませんでしたが、後半は、私たちの神への願いの祈りです。

「かてをお与え・・・」から始まる祈りは、三つしかない短いものですが、これも私たちに必要な祈りのすべてを包含している完璧なものです。

来週説明するのが、今から楽しみですが、もう一度熟考して臨みたいです。

 

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