聖書を読んでいて、今の自分には難しいと思う聖句がある。

それは正直な思いなので、読み飛ばすのではなく、それを課題として、大切にした方が良い。

その思いを分析していくと、やはり、自己中心的な思い、プライド、人間関係重視が、心のどこかに残存しているからでしょう。

つまり、神を中心にしていると思っていながら、自己保身の思いがもたげてくる。

やはり問題は、神の絶対的支配の原則を信じ切っていないところにある。

イエスが「信仰の薄い人たち」となげかれるとおりです。

それは、私たちに向けられている。

6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

 

聖書を読むと、その通りだと思う。

しかし、それが、日常隅々まで、貫徹されているだろうか。

私たちの思いわずらいの主なものは、衣食住や人間関係に起因する。

しかし、神は、そんなことは心配するな、考えるなとおっしゃる。

私が、保証しているではないか。

私が、あなた方を気遣い守っているではないか。

だから、神の国とその義を求めなさい。

今日苦労しているのなら、苦労しなさい。

苦労は苦労で、喜んで行いなさい。(ローマ5:3)

今日に集中しベストを尽くしなさい。

明日は明日に、またベストを尽くしなさい。

わたしが、あなたとともにいるのだから。

思いわずらうでない、とイエスはおっしゃる。

その通りです。イエス様。

 

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