ネヘミヤは、私の先生である。
ネヘミヤには、私は励まされ、勇気づけられる。
彼は、異国ペルシャの地で、ユダヤ人とエルサレムの悲惨な状況を聞き、嘆き、同胞の民のために何ができるか祈り、考え、そしてエルサレム再建のための行動にでる。
彼の行動力に尊敬するが、彼の原動力は、強い隣人愛、同胞愛である。
苦しんでいる同胞。
神に状況の打開について、真剣に祈る。
彼は、同胞の悲惨な現況を聞き「座って泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って」(ネヘミヤ記1:4)とある。
そして、ペルシャ王のあわれみの心が生まれる様、祈り、神の時を待つ。
聖書では、約4ヶ月祈った後、時が到来し、王から声がかかり、王へ「エルサレムを再建させてください。」と嘆願し了承される。
そして、彼の実行が始まる。
ネヘミヤは、粘り強く祈る人であったが、それは、行なうための祈りである。
同胞人への愛は、とても強い。
主イエスも「ああ、エルサレム、エルサレム」とあわれみ、祈られた。
パウロも「もし、できることなら、私の同胞、肉による同胞人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです」(ローマ9:3)とまでいう。
パウロは、とても強烈なことをいう。
ネヘミヤもそうである。
ペルシャ王の献酌官としての恵まれた立場に、一人ぬくぬくと、という人ではなかった。
ネヘミヤやパウロから、私が心に強く抱くべき、日本人同胞愛を学ぶ。
そうありたいものです。
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