その場の雰囲気が一方的にかたより、感情的になることがある。
それは、群集心理になる。
使途の働き5章にある。
大祭司や議会関係者が、使徒を議会に立たせて問いただした時、ペテロが、イエスの証を話し始めたときである。
5:33 彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。
しかし、尊敬を集めていた律法学者のガマリエルが、冷静な対応を取るように、説得する。
パウロの師でもあった方である。
5:34 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。
5:35 それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。
5:36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。
5:37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。
5:38 そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
5:39 しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、・・・
ガマリエルは、律法を守る立場の責任者であり、ラビよりももっとすぐれた尊称である「ラバン」(私たちの教師)と呼ばれていた方である。
その方が、柔軟な見解を、あえて示す。
なかなか、できる事ではない。
多くは、大衆に迎合してしまう。
思っていても発言を控えてしまう。
しかし、ガマリエルは、あえて、群集心理に対峙する行動をとる。
しかも、発言の内容が、神の視点に立った、反論の余地のないものだった。
私たちもそうありたいものです。
ガマリエルの「言うべき時は、言う。」勇気に、大いに学ぶ。
また、ガマリエルは、単なる宗教専門家の域を超え、神に寄り添った、神により頼んだ姿勢を持ち続けた方なのだろう。
彼が、すべての人に尊敬されていた理由がわかる。
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