南ユダのアサ王は、ソロモン王の後の2代続いた悪王の後の王で、良い王であった。

それは、主に心を向けていたから。

41年王を続け、晩年に主に求めないことがあって、彼の評価は下がるが、彼の母がアシェラのために憎みべき像を造ったので、彼女を王母の位から退けるほどの人であった。

ダビデもそうだったが、権力の座が長くなると、やはり、おごり高ぶりが出てくるのが、人間の罪の属性なのでしょう。

神に従って自制していくのが、いかに大切で、かつむずかしい事でもあるのか、と思います。

自分の力、権力、財力、軍力により頼みがちになる。

これは、権力者に限らないことです。

ポイントは、いつでもどんな状況でも、神により頼むか、否かということです。

 

聖書を読んでいて、つくづく感じるのは、聖書の人の見方は、結局、ただ一つの尺度だけ。

自分が、どういう立場だとか、どういうことを成したかは、まったく関係がない。

ただ一つ、神に対して、どう生きたか、だけである。

それは、神様だけは、良くご存知である。

それがすべてである。

人がどう言おうが、どう評価しようが、関係ない。

神に対して、どう生きただけ。

それがすべて。

 

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