わたしの好きな聖句に

詩篇12:5 主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」

 

どうも、この世は、残念ながら神の御国が形成されていない。

間違った方向に、進んでいる。

 

もともと、神は、この地のすべてのものをお造りになり、それらは、すべてすばらしいものだった。

すべてのものは、祝福されていた。

しかし、そこに罪が入りこみ、われわれは、本当の道から外れてしまった。

神は、それを回復なさろうとし、アブラハムを信仰の父とし、

そして、イエスによって、信仰の道を確立なされた。

神は、アブラハムに、こう仰せられる。

「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)

 

しかし、残念ながらこの地には、それが実現されていない。

私達、先に救われた者の責任は、大きい。

私達は、祝福の拠点になっていかなければならないのだろう。

神の御国をこの地において、実現していかなければならないのだろう。

もちろん一歩一歩なのだが。

みなが喜ぶ社会。

みなが祝福される社会。

キリスト教会は、伝道と社会的責任の両輪が必要なのだろう。

伝道こそすべて、社会的活動を劣後する考え。

社会的活動こそ優先すべきという考え。

日本の教会も分断しているような感じがしている。

神の思い、神の御国の建設の為には、両方が大切とわたしは思っている。

 

両方を果たしていくことが、神の御国の実現への王道だと思っている。

誰かの犠牲や不幸や不公正の上に成り立っている喜びは、喜びではない。

神が喜ばれる、神の国ではない。

クリスチャンが、「自分は救われている。幸せだ。」で喜んで終わっていてはいけない。

やるべきことや任務がある。

神の国の実現の為に。

 

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