私達が、誰かを愛する時は、理由がある。

愛するに値するから愛する。

ある種の動機がある。

・・・のゆえに、愛する。

愛するに値する、価値にひきつけられてのもの。

私達が、神を知り、神を愛する時も理由がある。

「・・・のゆえに」神を愛している。

 

しかし、神の愛は、私達のようではない。

明確な理由がない。

神の愛は、まったくの自発的な愛である。

相手の価値に影響を受けない愛。

私達の状態に関わらずの愛。

反逆するものや敵を愛する愛。

 

自分の事を考えてみるとわかるだろう。

神に愛されるに値しているだろうか。

そんな価値のない私達を、神は愛してくださる。

「・・・にもかかわらず」愛してくださる神。

私達が罪びとであった時にも、愛してわたしたちの為に死んでくださった神。

うなじのこわい民を、なぜかしら選んで愛してくださる神。

ローマ5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 

めぐみ、あわれみの神です。

ハレルヤ!

 

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