イエスの十字架と復活は、聖書のメインテーマで、その前後の御言葉には、多くの啓示がある。

昨日は、ペテロの弱さ、そして私達の弱さについて書きました。

それを、よくご存知のあわれみ深いイエス様について。

今日は、マタイ27:32です。

27:32 そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた

 

シモンは、いい迷惑だったに違いない。

総督の兵士に「おい、お前、背負え。」と、たまたま、命じられる。

無理やりである。

もちろん逆らえない。

しぶしぶ従う。

 

しかし、シモンは、神の十字架を背負う、信じられない名誉を受けた。

そして、それを後ほど知る事になるであろう。

しかも、聖書に名前まで記されることになる。

 

私達にも、同じようなことがいえるのではないか。

淡々と流れていた日常。

そこに、思いがけないことが起こる。

自分がまったく望んでない展開。

しかし、神様のご計画が動き出すのは、そういう時です。

 

イエスは、聖書で「自らの十字架を背負って、わたしについて来なさい。」とおっしゃる。

思いがけない救い。

そして、十字架という任務。

耐え切れないと感じることもある十字架。

放棄したくなる十字架。

しかし、十字架を担える、何という特権。

それを知ったときの喜び。

全知全能の神が、わたしに関心を抱いてくださった。

わたしを、世の闇から救い上げてくださった。

そして、わたしに人生の意味を教えてくださった。

さらに、わたしに志を与えてくださった。

この生涯において、わたしが担うべき召しを与えてくださった。

そして、イエス様がいつでも、いつまでも、寄り添ってくださる。

聖霊様が、わたしを導いてくださる。

 

その特権は、すべての人に開かれている。

だれでも、どんな人でも。

滅びの道を、盲目的に歩んでいる私達。

それを、意味ある人生に変えてくださる神。

神に感謝し、賛美するしかない。

 

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