イエスが、復活されたことを、御使いが女たちに告げる。

マタイ28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。

28:7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

 

イエスは、十字架につけられる前から、自分が死に、そしてよみがえることを、弟子に告げていた。

しかし、弟子たちは、それを信じていなかった。

彼らは、恐れ、隠れていた。

しかし、イエスは、お言葉通りよみがえられた。

私達にとって、イエスが、十字架の上でわたし達の罪をすべて背負って死なれたことは、極めて重要な事実であるが、復活されたことは、さらに重要なことであった。

すべては、ここから始まる。

イエスが、死を打ち砕かれた。

わたし達は、それを信じる信仰によって、わたし達の死は、恐ろしい、忌まわしい、絶望の結果ではない。

私達も肉体の死がいずれおとずれても、イエスが備えられた天国に行き、またイエスのように、新たな体をもって、よみがえるのだ。

私たちを苦しめる病気、貧困、障がい、試練、不幸も恐れる必要はない。

それは、永遠の命の観点からは、とても小さなこと。

イエスが、すべてを成し遂げ、わたし達は死からも自由になった。

御使いは、これだけは伝えるといった。

それは、「イエスが死人の中からよみがえられた」という事実。

これだけは・・・と言った内容と意図、わたし達は、その御業の最重要の意味を、深く知り心に刻む必要がある。

信仰の要は、それに凝縮されている。

 

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