出エジプト記で、イスラレルが、アマレクと戦ったときのことである。

17:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。

17:9 モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」

17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。

17:11 モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。

17:12 しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰掛けた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。

17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。

 

普通、戦う時は、十分に計画し戦略を練る。

その戦略が、勝つ勝たないの大きな分岐点になる。

この場合は、「アマレクが来て」とあるように、急な挑まれた戦いだったのかもしれない。

しかしモーセは、まず、神の全面的により頼む。

神の杖を持って、立つという。

まずは、神に祈る、神により頼むところから始まる。

そして、戦いは、霊的なものであることが、実証される。

人間の知恵や力ではなく、神の霊的な力が、結果を左右していることを。

手を上げているときが優勢になり、手を下ろしているときが劣勢。

モーセは、すべては、神が支配されておられることを、知っていた。

経験からも知っていた。

私たちは、神に信頼して生きているか。

しかも、いつも信頼しているか。

アマレクは、急に来た。

私たちも、何かトラブルが、急に襲ってきたとき、信仰が試されるのであろう。

それは、日々の積み重ねなのだろう。

まずは、神の言葉である聖書を、毎日読み続け、心に溜め込むことだろう。

そうすると、日常においての神の技を、見逃さなくなる。

確かに神がおられる・・・といった実感。

そして、聖書的な行いが、徐々に行なえるようになる。

その継続が、私達の信仰を育てるのだろう。

 

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