障がい者の方と毎日、生活をしている。
精神障がい、知的障がい、発達障がい、身体障がい、そして難病の方もおられる。
神は、「われわれのかたちとして、われわれに似せて。」私たちをお造りになった。
つまり、私たちは、神に似ているわけだ。
神は、義なるお方であり、また愛のお方である。
その性質を私たちは受け継いでいるが、そのことを、実感するのは、障がい者を通じての場合が多いのだ。
一方、人間は、原罪を背負い、罪の性質が内在している。
義や愛に反する性質である。
嫉妬、自己中心、うそ、プライド、悪意、偽善等などである。
これらの性質は、全人類に及んでいるので、障がい者も例外ではない。
しかし、その悪い傾向が、顕著に感じるのは、障がい者よりも、私を含む一般人にみられる場合が多いと感じている。
というのも、この世の価値基準が、適者生存、競争、経済優先にあるため、それにそった考え方ができる人、また、そうしてきた人が、この世で、用いられるからである。
そして、この世の価値基準に従っている場合、「神は不要」になってしまう。
一方、神の義や愛を持っていると、社会不適用になる懸念がある。
その原因がわからず悩む。
自分のせいだと思う。
神の性質を内在している方は、この世に違和感を持ち、精神疾患をきたしたりする場合がある。
また、知的障がいの場合は、神の性質を、まだ多く残している。
社会の悪い影響をまともに受けていない為かもしれない。
このようなことから、彼らから神の御性質を感じるのである。
神のかたちとして造られた私達の原型を再発見する時がある。
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