2歴19:9は、予見者ハナニが、ユダの王アサに言った言葉である。
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。
旧約の時代、神は、その心が、自分と同じになっている方を通して、御力をあらわした。
アサ王も、主により頼んでいたとき、敵を打ち破り、そうでないとき、敗れる。
この事は、戦いの時に限らない。
すべての時や場合に、そうなる。
聖書で、何度も示されるとおりである。
新約の今も、同じ原則が当てはまるのだろう。
違うことは、クリスチャンには、聖霊様が内住されているということである。
神が、あまねく全知を見渡す必要がない。
内住されているのだから。
あとは、内住されている聖霊様と、私のこころが、まったく一つになっているかどうかである。
一つになっていないとき、神は、自分をあらわしようにも、私のこころが、それを阻み、あらわされない。
だから、私ができることはただ一つ、聖霊様の働きのじゃまにならないようにするだけなのだろう。
神の思いに対して、素直な、従順な、慕い求める心を育んでいくことだけなのだろう。
そのときに、神に使われる人になる。
「神よ。私をお使いください。」と祈っているだけでは、あまり意味がない。
それよりも、神が私達に求めているような、人間になることなのだろう。
それは、聖書に書いてある。
聖書を読み、聖書に聞き、そして、聖書に書いてあることを行える人になることなのだろう。
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