アブラハムの召し。
アブラハムは、神から「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」(創世記12章1節)といわれる。
神は、行けとだけ言う。
行って、具体的にどうのこうのとは、提示はない。
ただ「そうすれば、わたしはあなたを祝福する」とだけおっしゃる。
アブラハムは主がお告げになったとおりに出かけた。(12章4節)
75歳のときである。
召しというのは、いつ語られるかは、わからない。
いつ、どのように促がされるかわからない。
アブラハムは、特別の方ではあったが、私達にもそれぞれ与えられる。
しかし、それを見逃したり、決断をためらったり、留保する場合がある。
あるいは、「それは現実的でない」とみなす場合もある。
わたしが、会社を52歳でやめた時である。
そのときは、クリスチャンでなかったが、「会社をやめよ」という声が聞こえたような気がした。
それは、当時「天命があった」と、妻に表現していた。
その後、どうなるかは、何の啓示もない。
しかし、若いときからのライフワーク「人間とは・・・」への再チャレンジという、思いがわきあがり、会社を辞める。
これらの啓示、その後の経緯、クリスチャンになっていくプロセス等は、本で紹介している。
そして、60歳を過ぎてから、神のご計画のアウトラインをはっきりと知る。
これらすべては、神のご計画で、神は、私達にすばらしい計画をお持ちであるのだ。
しかも、その為の事前準備計画も、すべてお持ちなのだ。
私は、21歳のとき、そのサインが啓示されていた。
それが、40年後、やっとわかる。
はっきりいえるのは、神からの啓示らしきものが、色濃く促がされて時は、熟考すべきだ。
大きな転換が伴うことであり、現実生活をどう営むかということもある。
しかし、沸き立つ思いを、留保するのは、危険だ。
私達の思いのレベルの現実的な計画よりも、神のご計画の方が、はるかにすばらしいのだ。
それは、後になって、よくわかる。
真剣に熟考しながら、一歩前に踏み出すことをお勧めする。
これらのプロセスも本の中で整理しているので、お読みいただき参考にしてもらえばと思う。
神は、あなたによい計画をお持ちになり、あなたがそれに従っていくと、神は、あなたを必ずサポートし、あなたへの祝福は、計り知れない。
アブラハムと同じである。
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