神は、あわれみ深い神であると聖書に書いてある。

しかし、そのあわれみは、日本語的な感覚とは、違うことを、勉強した。

マルコ

1:40さて、ツアラアトに冒されたが、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」

1:41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」

 

深くあわれみは、ギリシャ語のσπλαγχνίζομαι「スプラグクニゾマイ」の不定過去分詞形(名詞スプラグクノンは、内臓のことで、特に心臓、肺臓、肝臓、腎臓をさす)であり、「腹わたした」と言う意味。

つまり、内臓がかき乱されるような深い激情であると。

思い皮膚病患者の信仰と主のあわれみ。

あわれみは、アガペーの働きであり、主の宣教の動機であり、情熱である。

イエスのそれは、類がない。

聖書には、「かわいそうに思い」という表現がもちいられているが、いずれも、このような、深い激情に基づくものである。

その激情が人に伝染する。

私達の働きも、私達の熱意、深いあわれみこそが、人に伝わるのだろう。

わたしも、少しでもイエスのようにありたい。

 

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