今の聖書通読箇所は、アモス書とヨハネの黙示録である為か、耳の痛いこと、同時に自分を律しなければと思うことが、散りばめられている。
アモスは、神の言葉として、北イスラエルの選民失格を宣言する。
8:2 主は仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏のくだものです。」と言うと、主は私に仰せられた。「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。・・・
8:4 聞け。貧しい者たちを踏みつけ、地の悩む者たちを絶やす者よ。
8:5 あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きのはかりで欺こう。
8:6 弱い者を銀で買い、貧しい者を一足のくつで買い取り、くず麦を売るために。」
8:7 主はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも、決して忘れない。
わたしも、何度か取り上げているように、神の貧者などの弱者へのいつくしむ思いは強い。
彼らが、失格となった主な理由は、それなのだ。
貧しいものへの不正、無慈悲、残酷さ。
神は、それを許さない。見過ごさない。
神は、弱いものの味方。
イエスは、小さな町の貧しい家を選ばれた。
宿屋に泊まれず、家畜小屋で生まれた。
飼葉おけで寝た。
とても臭い、汚い、狭いところだったろう。
イエス様は、そういうところを選ばれて、好まれて来られた。
この宇宙を、すべてを造られた方にも関わらず。
その御心を私たちは、充分に知る必要がある。
決しておごり高ぶらないように。
このブログを読んでいただき感謝いたします。
一日一回クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。