やっぱり、人間の罪は、高ぶりなのだろう。

エゼキエル29.2から

29:2 「人の子よ。顔をエジプトの王パロに向け、彼およびエジプト全体に預言し、

29:3 こう語って言え。神である主はこう仰せられる。エジプトの王パロよ。わたしはあなたに立ち向かう。あなたは、自分の川の中に横たわる大きなわにで、『川は私のもの。私がこれを造った。』と言っている。

 

私は、大きな力、権力を持っていると、傲慢にも、高ぶった発言をした。

「川は神のものであり、神がこれを造った」と。

しかし、不遜にも、高ぶった虚言を言うことは、主権者としての神は、その発言を許さない。

だから、私はエジプトに立ち向かうとおっしゃる。

神が、立ち向かってくるとは、何と恐ろしいことか。

このことは、現代にもあてはまる。

力ある人が、あるいは国家が、力ずくで他国を侵略し、あるいは、公海を自分のものと主張している。

人間や国家の高ぶりは、際限がない。

また、さらには、月の支配権を念頭に置いて、競争が始まっている。

これは私のものだと。

エジプトのパロが、『川は私のもの。私がこれを造った。』といったのと、何ら変わらない。

それだけ、人間の属性はかわらない。

神への恐れはなく、自己中心があるだけである。

しかも、その地球的リスクは、さらに高まっているようだ。

しかし、神は、そういった発言と状況を放置されない。

29:9 エジプトの地は荒れ果てて廃墟となる。このとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。それは彼が、『川は私のもの。私がこれを造った。』と言ったからだ。

 

神に信頼し、神に希望を持とう。

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