ある議員が、同姓カップルを念頭に「生産性がない」といったことが、マスコミで問題視されている。
いろいろな批判があるが、私は、クリスチャンとしての意見を言いたいと思う。
つまり、この発言が聖書的に見てどうかということである。
創世記1章27に「神は、人をご自身のかたちとして創造された。」とある。
つまり、神は、人を創造された。
しかもご自身のかたちとして。
何という、おそるべき、厳粛な御業なのだろう。
当然のことながら、人とは、人全員である。
人として生まれてきた以上、例外はない。
計画をもって、一人ひとりをお造りになった。
ご自身のかたちとして。
神がお造りになった存在に対して、人間が評価したり、裁くのは、神への冒涜になる。
残念ながら、ご当人は、その事に、気づいていないのだが。
それを知ってもらいたい。神を知ってもらいたい。
そうでないと、そのご当人が、大変なことになる。
まさに、「神よ。彼女は、自分のいっていることがわからないのです。」である。
しかし、憂慮すべきは、そのような風潮が、拡がりつつあるのである。
「生産性がない、活躍できない人は、価値がない」といった考え方。
一億総活躍社会と言う標語は、ファッショ社会すら連想させる。
人よりも、国家を優先させる思想。
国家に役立つ人。国家>人。
人は人であるだけで、すばらしいのだ。
生産性なんか、関係ない。
生まれつきの寝たきりだろうが、なんだろうが、関係ない。
多様性は、神のお考え方なのだ。
多様な個人を、それぞれが尊重する、愛しあう、そのことを神は望んでおられるのだ。
そういう世界と人をお造りになった神を賛美する。
それが神の意図だ。
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