忍耐は、聖書におけるとても重要なキーワードである。
新約聖書の書簡からは、迫害にあっている様子が、うかがわれる。
ローマなどの外部からに止まらず、ユダヤ人からの批判や憎悪も周到なものがあったであろう。
へブル10.35~
10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
イエスもおっしゃっている。
ルカ21.17~
21:17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。
21:18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。
21:19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。
これらの聖書上の忍耐には、緊迫感が伝わってくる。
あらゆる苦労、苦難に対する忍耐を、神は解く。
どんな状況になってもだ。
そういう意味で、現代の日本はどうだろう。
幸か不幸か、戦争直前や戦時中においてあったような緊迫した場面はない。
しかし、私達の個人的状況においても、忍耐すべき事案は、たくさんある。
それらを通じて、忍耐を学び取っていくことが、大切だと思う。
そして「たえず喜び、そして感謝していなさい。」とイエスはおっしゃる。
だから、どんなことがあっても、忍耐し、喜び、感謝する。
矛盾するようだが、それが神を信じる者の生き方なのだろう。
私には、難しそうに思える。
しかしパウロが、その見本である。
彼は、とても劣悪な環境だったであろう牢獄で、賛美をしている。
なんということだろう。
すばらしい。
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