励ますことは、大事。
私は、若い時から成年期にかけて人を励ます習慣に、欠けていたと思う。
それよりも、自分の事で、若い時から精いっぱいだったような気がする。
自分の事が本質的によくわからない。
何のために生きているのかよくわからない。
生きている目的な何か・・・という感じで生きているので、おのずと他者への気配りは乏しかったと思う。
つまり、自己中心的だったという事か。
しかし、神を知り、聖書を丹念に読んでいくと、内側から変わってくる。
何よりも内在なさる聖霊様の働きが、自己改造をはかってくださる。
感謝や励ましの習慣もそうであり、これらはまさに、神からの思いなのであろう。
へブル3:13
「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。
この聖句の通り、「きょう、いま」が大事なのでしょう。
今度からとは、いっていない。
神は、励ましの神である。
神の愛が、私に流れそれが他者に流れ出る。
それを毎日繰り返し、習慣化する必要があるのだろう。
罪にまどわされてかたくなにならないようにしなさい、とある。
神の命令形である。
神は強く望まれている。
聖句通り、逆に励まさないという習慣は、自己中心の思いへの逆行、結果として悪霊に加担することになるからだろう。
だから、私たちの心をたえず見張っていなければならない。
それだけ、私達の心は、デリケートである。
その為にも、隣人への励ましを発信し続ける、励ましあうという習慣は、心を健全に保つ上で、とても大切なことなのだろう。
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