マタイの福音書を、朝学んでいる。
マタイの福音書が、ユダヤ人向けに書かれていることは、聞いていたが、ユダヤ社会がきわめて系図を重んじる民族であることを、改めて知る。
日本でも、戦前などに、家柄を示す意味で、系図を大事にしていた人もいただろうが、そんなレベルではない。次元が違う。
マタイは、イエスがアブラハムからの家系であることを、まずは明確に示し、イエスが神の子であることを示す狙いがあったのだろう。
系図は、通常男だけが優先され、女・子供は数のうちに入らない。
そういう観念がしみついている。だから、イエスがパンをお配りになった時も、、女・子供の数は除かれている。私達日本人の感覚とは違う。
しかし、そんな中にあって、聖書、つまり神様の素晴らしいのは、4名の女性が含まれている。
しかも、生まれ方そのものが罪人であり、また異邦人であったり、多くのユダヤ人が安心するような系図になっていない。
そういう、人間的にいうと、汚れた血筋が混ざりこんだ系図の中から、イエスが生まれている。
そんな人が含まれていることを、神に感謝したい。
数の中に入らないような者、過去の汚名がいつまでも消えない、滅ぶべき人、そんな人がいる。
あえて、そういう人達を選んでいるのだろう。
そんな人は、つまり私たち自身でもあるのだ。
そんなつまらない私達が系図に入り、イエスのゆえに光栄あるものとされる。
人間的な要素は、すべて打ち破られた。
全てをリセットされるお方。
大逆転してくださるお方。
何と感謝なことだろう。
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