私は、毎日ふれあっている、障がい者や難病の方々への聖書の学びを呼びかけたときである。

私は、特にこの手の学び、特にキリスト教の学びについては、難しいのかなと思っていた。

確かに、敬遠される方が、多いのだが、待っていたかのように、「是非、学びたい。」という方がおられ、驚くとともに、うれしかった。

やっぱり、心から神を求める人は、いるんだなと思った。

そういう人は、熱心に聖書を読み、そして信じた。

その心の動きは、私の想像を超えていた。

やはり、神の書は、人間を変える。

何より、本人が、一番驚かれ、喜んでおられる。

感謝なことです。

そこで、決断したのが、障がい者等の為の教会としての場所造りである。

それらの方、およびその関係者が、違和感なく集える教会、地味でも小さくてもいいので、

その空間を提供したい。

一般の教会で、なじむ方は、一般の教会に行っていただく。

つまり、選択肢を拡げる役割もキリスト教会として必要だろう。

私は、かねがね、誰か、それにふさわしい方、それをやってくれそうな方も考えてきたが、なかなかいないものだ。

それで、私には不十分かも知れないが、自分でやるしかないだろうと思うようになってきた。

そのように、神様に促がされていると、感じ始めてもきた。

その布石として、障がい者との毎日の付合いも10年近くになってきた。

皆さんの心情も、だいぶ理解できるように、なりつつある。

神様が、私に啓示された「21歳のときの片足のない方の幻」の集大成が、そういうことなのかもしれない。詳しくは、本の中に書いています。

それが、残された私の人生の中での作業なのだろう。

それが私の行程なのだろうと思う。

その為に、聖書の学び会を、しっかりとしていく。

参加者を、私たちの事業所の方だけでなく、拡げて生きたい。

また、前提として、教える立場の私が、しっかりしなければなるまい。

つまり、私自身の学習である。

そこで、通信2年コースで、牧師の勉強を始めた。

長丁場になるが、聖書、神学、牧師としての基礎的な学習は、責任者として必須だろう。

今日、資料が、ダンボールで送られてきた。

今日から、毎日の勉強開始である。

仕事も、当然のことながら、代表として従来どおり常勤するので、一日のペース配分は、やりながら考えます。

 

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