聖書を読み続けることは、私達のように心の移ろいやすい、不安定な人間にとって、とても大事なことであろう。
だから、1テモテ4章13節にも、こう書かれてある。
「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。」
パウロは、人間として専念すべきことを、言っているわけだが、まさに聖書を学ぶことの重要性を述べている。
つまり、余計な事にわずらわされずに、聖書を読めと。
昨日のブログでふれたミカ書6.8も、大切な御言葉であるが、今朝読んだ詩編も、同じような大切な教えで、かつ励まされる聖句である。
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
37:3 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
私たちは、生きる中で悪にあい、不正があり、嘘が蔓延した現代社会にぼやき、また、それらの人たちが、ぬくぬくと満足げに生きているのを見て、腹をたてる。怒りもおぼえる。
しかし、聖書では腹をたてるなという。
あなたは、善を行えという。
つまり、私たちが留意すべきは、世に腹を立てることではなく、神の教えに集中することである。
だから、ひたすら神の教えに立ち、飽きることなく善を行い続けることだ。
相手がだれであれ、誠意をもって対応することだ。
そして、ミカ書に「へりくだってあなたの神とともに歩む」とあるように、主をおのれの喜びとする生き方をすることだ。
そのように、ひたすら神と共に歩む限り、私達の願いは、神の願いになるのだから、それは、必ずかなう。主が、成し遂げてくださる。
だから、主から離れないようにしよう。
神とともに歩こう。
そして、主にすべてをゆだねよう。
こう思えたのも、聖書を読んで、思いを新たにできるからだと思う。
それだけ、聖書通読は、私たちには必須だろう。
そして、私たちは行う人になれる。
このブログを読んでいただき感謝いたします。
一日一回クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。