私たちが本当に喜ぶべきことは何か。
それは、わたしの名が、天に書きしるされていることである。
ルカ10.20
だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。
天国に行けるかどうかは、重大な関心事だろう。
イエスに天に書きしるされていると言われたら、こんなに喜ばしいことはないだろう。
私は、イエスに直接、言われたことはない。
しかし、聖書を読む限り、現状では大丈夫だと思っているが、確信しているわけではない。
私は慎重に考えている。というよりは、慎重に考えようとしている。
つまり、死ぬ直前の私の状態はわからないからだ。
私が、いろいろな試練も乗り越えて、黙示録3.5に書かれているような「勝利を得るもの」になっているかどうか、わからない。
もちろん、そうありたいと強く思い、信じ、神にゆだね、その為にベストを尽くさなければならないと思っている。
しかし、そうなる保証はない。
逆に、黙示録3.1に書かれてあるように「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。」にならないように気を付けなければならない。
他人事とはいえない。
そうなる可能性は、自分にもあるからだ。
今、いのちの書に記されてあることを喜ぼう。
死んだ者に決してならないように、注意深く、心を見守っていかなければならない。
サターンの攻撃もあるだろう。
彼らに、すきを与えてはいけない。
また、自分自身に注意しよう。
この世に波長を合わせ過ぎないように注意しよう。
停滞は危険だ。
信仰を、毎日、毎日育て、信仰の武具を身にまとい、私たちは前進をし続ける必要がある。
その為にも、毎日欠かさず、聖書を読もう。
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