詩篇34章の冒頭には(新改訳聖書)、こう書かれてある。
「ダビデによる。彼が、アビメルクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて立ち去ったとき」
気が違ったかのように、ふるまわざるを得なかったダビデ。
人を恐れ、神により頼んでいないように思えるダビデ。
少年ダビデのころは、恐れを知らなかった、あのダビデでさえ、そうなるのだ。
それだけ、人は弱い。
私たちも、時に弱りはて、恐れ、おののく存在なんだと、まずは踏まえよう。
恥ずかしいことではない。
社会における人間関係のプレッシャーはきつい。
神の前に、正しく生きようとすると、いろいろと軋轢は付きまとう。
私たちも充分経験しているではないか。
しかし、私たちの弱さゆえに情けない状況になっても、やはり、神を求めるしかない。
神は、人間ダビデを通じ、詩篇を通じて、脱出の方法も私達に教えてくださる。
34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。・・・
34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。
主は、私たちの弱さを知っている。
だから、主に求めよう。
主は救ってくださる。
34:18 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。
34:19 正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。
ダビデに恐れが生じたのも、彼が神に従い、挑戦し続けたからなのだろう。抵抗は付きまとう。
私たちも、主に従って生きていくとき、悩み、困難、災い、そして犠牲は当然なのだろう。
しかし、主はそのすべてから、私たちを助け出してくださる。
そして、私たちをより成長させてくださる。
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