主にすべてをゆだねる、より頼むという、御言葉がある。
主に信頼し、すべてを神の御手にゆだねるということである。
神から、あなたの寿命は尽きる。じきに死ぬので、諸準備をしておくようにと、明快に啓示されたとき、あなたならどうするだろう。
その事が、ヒゼキヤ王におこる。
2列王記20:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」
20:2 そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、言った。
20:3 「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。
彼は、神に命乞いをする。
彼は、今死ぬ事に納得せず、とにかく切に神に願う。
願い方がある意味、おもしろい。
つまり、「何々・・の理由で、今死なせないでもらいたい。」と言っているのではない。
あるいは、いったのかもしれないが、メインは、聖書に書かれてあるように、私のあなた(神)にたいする心と行いを思い出してくださいと祈り、そして泣くのだ。
ヒゼキヤには、神への忠誠心の確固たる自負があったのだろう。
「こんなにも、あなたに尽くし、あなたの為に行ってきたではありませんか。頼みます。私の願いをきいてくださいよ。お願いします。」と、子供が、わが父におねだりするような感じでもある。
また、父である神も、彼の言うとおりであることを知っており、神のご計画として決められていた寿命を延ばす。
20:4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような主のことばが彼にあった。
20:5 「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。
20:6 わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。
こういうことは、とても珍しいケースだと思う。
それだけ、神とヒゼキヤとの関係は近かった。
旧約の時代でありながら、彼は大胆に、神に近づき主張する。
普段からそうだったのだろう。
そして、やるべきことを行ってきたのだろう。
神は、簡単に彼のいうことに応じているように思える。
それだけ、神は、自分との関係が近い人の意見を聞く。
ご自分の考えも修正する。
神は、一方的な方ではなく、私たちの考え方にも寄り添う方であることがわかる。
私たちも、彼のように、神に対して忠実に生き行い、そして大胆に御前にたち、とにかく祈ろうではないか。
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