ユダのヒゼキヤ王には、学ばされる。

特に、逆境の時のリーダーシップである。

当時の世界を支配していたアッシリアが、エルサレムに上ってきて、ヒゼキヤおよびユダの民に降伏するよう、呼びかける。

事実、アッシリアは、当時の世界帝国で、多くの国を滅ぼし、破竹の勢い。

アッシリアは、こう主張する。

2列王記

18:19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。

18:20 口先だけのことばが、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか。・・・

18:30 ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。

18:31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。

・・・たとい、ヒゼキヤが、主がわれわれを救い出してくださると言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。

・・・

18:35 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。」

 

論理的な説得。国々を滅ぼしてきた圧倒的な軍事力に裏づけされた、わかりやすい説明。

私に従えば、身の安全と豊かな食べ物が保障されるとユダの民に語る。

「お前たちは、何により頼んでいるんだ。」という。

心がゆれる民もいたに違いない。

決断しなければならないヒゼキヤ王の孤独。

リーダーとは大変である。正念場。

「今日は、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。」という。

そして彼は、神により頼んだ。

神に必死に祈る。そして祈りは聞かれる。

19:20 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』

・・・

19:34 わたしはこの町を守って、これを救おう。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。」

19:35 その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。

 

聖書に「なんと」と書かれているほどの驚くべき神の御技。

神に不可能なことはない。

ヒゼキヤ王は、聖書に「彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。」と書いてあるほどの人だった。

大切なことは、日常的な神との信頼関係。たえず、神により頼む姿勢。真摯な祈りの継続。

そういうことなのだろう。

 

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