2列王記を読むと、「・・・は、主の目にかなうことを行った。」あるいは「主の目の前に悪を行った。」と書かれている。

結局、私達の一生は「主の目にかなうことを行った」か否かなのだろう。

例えば、私達が、精いっぱいの努力をして、業績をあげ、人からほめられ、あるいは豊かになったとしても、主の目にかなっていなければ、何の価値もない。

一方、何の目立った活動もなく、人から評価される足跡を残さなかったとしても、主の目には、かなっているのかもしれない。

それは、神が求める「神を愛せよ」「隣人を愛せよ」と当然、関連するだろう。

隣人に対する小さな親切や思いやりやあわれみを、与えていたことかもしれない。

あるいは、生まれつきの重度の寝たきりの障がい者が、素直な笑顔やまなざしを、時々人に向けたことかもしれない。

神が、喜ばれることは、聖書を通じ理解できる。

また、私達に内住される聖霊様の促がしによってもわかる。

それは、永遠という尺度によっても、価値のあるものであろう。

永遠の視点から、価値のないもの、天にささげる価値のないものを、いくらこの世で積み上げても、全く意味がないだろう。

残念ながら、多くの人は、神の目からは価値のないことに熱心になっている。その事に、気がついていない。

天国に持っていけないものに、熱心になっている。

その事を伝えていく役割が、私達にはある。

 

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