2列王記5章のアラム王の将軍ナウマンは、とても興味深く、今日的な教訓にも富んでいる。

彼は、主君に重んじられ、尊敬されていた勇士だが、ツァラアトに冒されていた。

ナウマンは、サマリアの預言者ならあなたの病を直してくれると聞き、王の許可と、イスラエルの王宛ての親書を持参し、出かける。

ナウマンは、この世の礼儀をわきまえており、贈り物をもって、馬と戦車を持ってきて、エリシャの家の入口に立った。

しかし、エリシャの対応はこうだった。

5:10 エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」

 

本人は、入り口に出ても来ずに、「ヨルダン川で身を洗え」と告げる。

ナウマンは、怒るが、会社で30年働いてきた私にとっては、彼の気持ちはよくわかる。

彼は、当然エリシャは出迎えると思ったし、そして、直接触れ丁寧に直してくれると思った。

しかし、出ても来ない。親書が王から王へと渡されるほどの、自分はしかるべき立場の人間にも係わらずだ。

「ふざけるな。冗談じゃない。何がヨルダン川だ。それ以上の川は、いくらでも私の処にある。」と思ったに違いない。クリスチャン前の私なら、同様に怒っただろう。

とても、今日的なナウマンのプライド。彼には、地位、お金、善い行いがそろっている。

彼の努力が、彼を築き上げた。そのプライドがある。

しかし、エイシャの指示は、とてもシンプルでそっけないものだった。

彼は、怒って帰路につくが、部下の意見に耳を傾け、ヨルダン川に身を浸す。

しかし、そこにこそ恵みがあった。彼は、幼子のからだのように、きよくなる。

大げさな作法やお金や努力もいらない。恵みが、一方的にわたる。

まさに、今日のイエスを信じるだけで恵みが与えられる、そのシャドーを思わせる。

 

ナアマンは、今日的な人間社会での常識や規律、ルールを守る正しい生き方をしてきた人であろう。今日でいう優秀で正しいビジネスマン、しかし罪人というところか。

そのよき人は、もっと高次の神の世界とルールがあることを知る。

素直な正しい心を持った人は、恵みをうけ、理解も早い。信仰しそれを行動に現わそうとする。

とても痛快で、美しい、私達も励まされる神の御技である。

 

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