2コリント書は、パウロによる自己弁明と反撃の要素が感じられる。

自分が、キリストの真の使徒であることを、これでもか、これでもかと、伝えようとしている。

 

パウロの真実は、今では聖書が証明しているのだが、自分の真実を理解してもらえない歯がゆさを、何度もかみしめたのだろう。

時には、非常識とも思えるパウロ。

それだけ彼は、熱い思いがある。

義憤が、彼の行動への活力になる。彼は、そういうタイプである。

例えば、彼は、マルコを同行させるべきかについて、バルナバと激しい反目となる。

また、ペテロの優柔不断の振舞いをきつく責めたり、まーまーで済まさない気概がある。

私は、そのような彼が好きである。

冷静でないパウロ。がんこで、なりふり構わないパウロ。妥協しないパウロ。

そういう時も必要だろう。

人間関係の軋轢をおそれない。誤解もおそれない。迎合しない。空気を読まない。

大事なことは、神からの指令。尺度は、神との関係においてどうなのかだけ。

そうであるからこそ、彼は大きな事を成し遂げたのだろう。

私達は、物分かりが良くなりすぎていないか。

彼に、見習う必要があると思う。

 

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