2コリント12.1に、パウロの体験である主の幻と啓示の事が、書かれてある。
パウロのいただいた幻や啓示は、とても高次のものだが、私も昨日のブログ「私達の活動は、ミッションである。 」
の中で、私が21歳の時に見た幻のことを書いた。
それは、「片足のない方」であり、その時の状況は、本や過去のブログに書いてあるが、それをきっかけに、私の神への旅が始まったと今は思う。
また、今では、その「片足のない方」は、イエス様だと思っており、私に、障がい者等の弱い立場にある方々へのサポートを、予告した啓示だと信じている。
しかし、神のご計画は、単純なシナリオではなく、私にいろいろなステップを経させて下さった。
まずは、「哲学をせよ。」ということである。
この世的な考え方を持っていた私に、次の段階、キエルケゴール的に言うと「倫理的段階」へ進ましてくださったと思っている。
いわゆる、人生について真剣に考える段階である。
しかし、この作業からは、実は何も生まれてこないことも知る。懐疑的精神の極みは、結局、絶望に至るものであり、さんざんと経験させていただいた。
やっと、56歳にして、神を知ることになる。
そして、今の活動へと展開させていただくが、神のご計画を遠回りとも思っていない。
今までの経験のすべてが益になっているのだ。
また、この世で、神のご計画が終わるのではなく、次には、永遠の時間が待っているのだ。
永遠の時にこそ、本番が待っている。
そういう意味では、この世は、テストであり基礎固めの時なのだが、この世体験は、一回きりであり、神の目から実りある人生を送る必要がある。
神は、多くの題材を提供してくださるので、その多くの課題を、聖書的に取り組み、そしてクリアーし、より高みをめざしていくことが求められる。
それが、人生なのでしょう。
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