毎朝の聖書通読に、今は、旧約が申命記、新約がローマ書を読んでいます。それと箴言です。

申命記から受ける励ましを最近のブログで書いてきましたが、ローマ書から受ける高揚感をお話します。

やはり、私たちは新約の時代に住まわしていただき、とても感謝な事です。イエスキリストからの約束をいただいた上で、旧約を読めることは、その背景がよく分かり安心して、神の愛、厳しさを見つめる事ができるのでしょう。

さて、ローマ書は、パウロを通じた神の約束の解説書であり、同時に心のそこから私たちを奮い立たせる御言葉が書かれています。特に8章は、何度読んでも新たな力を与えてくださいます。

7章で、自分の惨めさ、無力に打ちのめされた本来の私たちを暴き出し、それを唯一救ってくれる存在、イエスキリストに感謝するしかないと告白があります。

私も青年期、自力で人生とは・・・と探求しましたが、分からず、絶望するしかなかった。多くの人が、あるいは哲学者や文学者もその問題に挑みつつ「人生とは不可解」と思ってきたであろうか。

その先に、イエスキリストがいらっしゃるということは、なかなか分からない。パウロも自力では分からなかった。神の介入があった。パウロには、異邦人への使途として、きわめて重要な役割があったことは分かる。しかし、私たちにも、神は介入してくる。私たちにサインを送り、気づかそうとしてしておられる。

そして、私もやっと気がついた。私の招命を。

8章にはすぐにとてもありがたい結論から始まる。

8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

 

罪と死の原理にさいなまれていた惨めな私たちが、イエスによって、解放された。


ウオッチマン・ニーは、このことを、罪と死の原理は、万有引力の法則のように、たえず法則としてあるものの、それよりもはるかに強力な法則が生まれた。つまり、いのちの御霊の原理>罪と死の原理 となったと、解説している。

アダムの子としてのDNAはあるものの、今や神の子としてのDNAがあるのだ。何も怖いものはない。しかも、強力な助っ人として、神の御霊である聖霊様が、私たちの中に常駐されている。

私たちは、新しい誕生である。

8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

 

聖書といえども、にわかに信じられない御言葉も書かれている。「イエスと死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられる」と。つまり、父なる神もおられると。

父なる神、イエス様、聖霊様がともにおられるのなら、怖いものは何もないでしょう。

いろいろなかん難、苦しみ、危険・・・何があっても、結論は

8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

 

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